さぽろぐ

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2019年12月20日

今日の降雪

 今日東区は6cm位の雪が降った。中心部に住んでいる友人に聞いたら、1~2㎝だというから、住んでいる地域で結構違う。ただ、寒い日のさらさら雪は軽いので除雪はそう大変でもない。しかも今年は融雪口がある。病後の身ではあるが思った以上にほいほいとできてしまった。駐車スペースは屋内になったので、除雪の負担はますます軽い。
 思えば、今までは駐車場の除雪は両隣がずぼらでほとんどやらないから、こちらの負担が多く、しかも雪置き場がやや離れていたから大変だった。その上階段の除雪もしなければならなかったので、正直しんどかった。だから今の棲み処に移ってよかったと本当に思う。
 
   

Posted by ばうまにあ at 22:20Comments(0)北の暮らし

2019年12月20日

ケンプズ・ジグ


 ケンプズ・ジグ。プログレ人としてははっとする人も居る筈。そう、グリフォン1st 1曲目の曲です。ヤン・アッカーマンのソロ「Profile」は1972年。グリフォンの1stは1973年と1年ずれてのリリース。ふと、グリフォンはアッカーマンのソロを聴いてアルバムに入れるする気になったのでは?と思ったりする。でも、世の中同時多発的にシンクロニシティすることって間々あるから、もちろん偶然なのかも知れない。クラシックの古典に詳しくないからよくわからないけれど、ヨーロッパではかなりポピュラーな曲かも知れない。・・とどうでもいいことをじたばた考えてゐる。
Jan Akkerman - Profile
Jan Akkerman - Tabernakel 流浪の神殿
Jan Akkerman - Tabernakel 流浪の神殿
Gryphon - Gryphon
  

Posted by ばうまにあ at 21:02Comments(0)Euro Rock

2019年12月18日

朴葵姫(パクキュヒ)

Harmonia -ハルモニア-

 今回はクラシックギターの朴葵姫(パクキュヒ)。
 今韓国は、特に日本との関係ががたがたしてるんだけど、それとは関係なく、器用で美しいメロディを奏でる韓国人クラシック・ギタリストの朴葵姫(パクキュヒ)さんを紹介したい。
 彼女は特にトレモロ奏法(アルハンブラの思い出で有名なアレね。)のテクニックには定評があるギタリストです。


 日本人アーティストとの交流も多く、今の所の最新作「Harmonia -ハルモニア」では押尾コータローさんと渡辺香津美さんがキュヒさんの為に書き下ろし新作を提供しています。
 今は師走で、何かと多忙な時期ではありますが、こういう落ち着いたアルバムを聴いて平穏な自分自身を取り戻したいおのだ。
 残念ながら、朴葵姫(パクキュヒ)さんのWikipediaが作成していないので、こちらをリンクしておきます。
朴葵姫(パクキュヒ)コンサートで感じたクラシックギター音楽の特徴

スペインの旅


SONATA NOIR


Saudade-ブラジルギター作品集-


最後のトレモロ



  

Posted by ばうまにあ at 15:30Comments(0)音楽

2019年12月15日

ルネッサンス シェエレラザード夜話

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 1976年(オリジナル・リリースは1975年)。夜のFM番組で流されたのがこの「シェエラザード夜話」だった。
 当時僕は高校生で、いろんなロックを聞きたいと思ってはいても、金がなかったのでそんなに沢山買えない。だったらラジオからエアチェックしようということだった。当時はFMエアチェックが人気で、FM雑誌(オーディオやアーティスト情報も含まれていた)が3誌以上発行されていたので、その人気ぶりは推して知るべし。また、この年の数年前位からオーディオの性能が爆発的に向上し、価格も低下してきたこと(コスパが上がった)から、性能の良いチューナーやカセットデッキが比較的入手しやすくなってきていた。幸い僕の父もオーディオに関して興味を持っていたので、まずは小遣いとバイト代でプレイヤーを買い、これをネタに親をだまくらかして、他のオーディオコンポを買って貰った。
 この経緯やシステムについては後日語って行くとして、今回は表題の“ルネッサンス”。
 当時はFMでフル・アルバムをオンエアしていた時代で、この「シェエラザード夜話」もまるまる1枚放送していたので、これをエアチェックし、何度も聞いて気に入って、玉光堂(すすきの店)で購入した。
 この時、僕には家庭教師的な人がいて、この人が部屋によく入って来ていた。この日も突然入り込んで来たのだが、まさにこのB面「シェエラザード夜話」を聴いてゐた時で、彼はこんな音楽を聴いたことがなかったらしく、「こんな高尚なロックがあったのか!」と大変驚いていた。そんなことを思い出す。
 「シェエレラザード」といえば、通常ならリムスキー・コルサコフだが、この曲は、曲想はリムスキー・コルサコフから得つつも、オーケストラアレンジも含めて全くのオリジナルなのだ。これはもう驚異としか言えない。A面の3曲も、アニー・ハズラムの歌声が華麗に舞う名曲ばかり。アレンジも素晴らしい。
SACD Scheherazade And Other Stories
音質の良いSACD盤。

Scheherazade And Other Stories



  

Posted by ばうまにあ at 13:59Comments(0)ぷろぐれ

2019年12月10日

カーヴド・エア- Air Cut

カーヴド・エア “エアー・カット”

  カーヴド・エアが来年2月に来日する。
あの可憐だったソーニャ・クリスティーナは貫禄たっぷりに変貌したようだが、自分だってそうなので文句は言えない。というより、よくぞまだやってくれていると感謝したい位だ。
 しかも内容は、神童といわれたエディ・ジョブソン在籍時の名作「エア・カット」再現ライヴ。マイク・ウェッジウッド(元Caravan)ゲスト参加と、あなどれない公演となろう。
 オリジナル・リリースは1973年だから、もう46年前である。そして10年前位まではCDリリースされなかったいわくつきの盤でもある。何故か?バンドが事実上の休止期に、業を煮やしたソーニャが勝手にバンドを編成し、録音/リリースしてしまった作品だから。 これには創立メンバーであり、バンドを続けて来たフランシス・モンクマン(Keyb)とダリル・ウェイが怒ったというのも無理からぬ話であるが、この急造されたバンドによる“エア・カット”が、実に良い作品となったものだからもうビックリ。きっとこの二人がジェラシーに燃えたばっかりにCD化も遅れたのだろうと推察できるのであ~る。

カーヴド・エア来日公園

  

Posted by ばうまにあ at 17:23Comments(0)ぷろぐれ

2017年04月01日

エヴァ・デマルチク・ライヴ

エヴァ・デマルチク・ライヴ


 その昔(1980年前後)ユーロロックの情報誌でがギター1本で・・うんぬん。なあんて記事を見て気になっていたが、ほかの王道ユーロロックを追いかけるのに精一杯でいつのまにか忘却の彼方へと消えて行った"未亡人"。最近になって急にそれを思い出し、検索してひっかかったのがこのCD「エヴァ・デマルチク・ライヴ」。今まさに聴いている途中であるが、書かずにいられなくなった。ナチスとソヴィエトに蹂躙され数々の悲劇を生んだ国:ポーランドの人々の奥底で蠢く血の色が混じった黒色を感じざるを得ないサウンドとでもいおうか。ギターとヴァイオリンとピアノ。そして時々ドラムスという編成も物悲しい。まだ全部聞いてはいないが、「そんな風景 TAKI PEJZAZ」という曲の迫力あるトレモロ唱法に驚愕!ほかの曲も内省的で暗い。だから大好き!
 でもひとつ疑問が。この人があの「黒衣の未亡人」か「黒衣の花嫁」で正解なのだろうか?いまひとつ確証が持てないのであるが。
  

Posted by ばうまにあ at 17:22Comments(0)音楽

2017年03月20日

睡眠時間


睡眠不足?


 「睡眠は8時間程度は取らないと駄目。」といふ人も居れば、「3時間眠れば充分。」と主張するセンセも居る。さて、どの説が正しいのか、睡眠人生を長くやっている自分であるが、実はよくワカラン。受験期には「3時間説」を取ったが、いつも眠かった気がするし、「8時間」眠ったあとも眠い時もあった。12時間眠って頭が痛くなった時もある。但し、徹夜で睡眠ゼロの時はさすがに昼間調子が良くないのは事実である。人間、諸説あれど、何時間であれ、睡眠は取らねばならない動物であるらしい。ここ暫く自分は理由は無いが、7時間以上は眠りたいと思って来た。だからそれ以下の時間しか取れなかったら、睡眠不足な感覚を持って目覚めることとなった。

 さて、ここに来て自分の睡眠時間が極端に短くなってきた。昔から寝入りが悪かったが、ここ数年では寝入りにより時間がかかり、やっと眠れたとしても2~3時間で起きてしまう。起きてしまったら、徐々に尿意を催してしまい、トイレに立つ。トイレに立って床に戻ると完全に目が冴えてしまい、そうなると過去にあった気になることを思い返したり、まだ見ぬ未来の予想をあれこれ考えてしまったり、はたまたどうでもよい些末な事柄を繰り返し思い描いたりと、頭がぐるぐる無駄に回転してしまい、またまた寝入りまで数時間かかり、完全には眠れぬまま朝を迎えてしまう時もある。とにかく連続して4時間以上眠れる時がなくなった。だからいつも睡眠時間が不足気味な感じを持ったまま起きて居る訳である。その為かふとした時に睡魔が襲ってくる。眠って許せる環境ならば、そのまま眠ってしまうのだが、そういう状況になることはほとんどない。

 10日前、昭和24年生まれのMさんと知り合い、1週間ほど仕事を共にさせて頂いた。その休憩時間の折に自分の睡眠時間のことを話すと「その年ではちょっと早いと思うけど」と前置きしながら「私とほとんど同じだ」と語った。Mさんが連続して眠れるのはいつも2~3時間が限度で、一度起きたらあとは眠ることができず、横になって目を瞑って居るだけの状態で朝になってしまうのだという。「もちろん本当はずっと眠ったままに朝を迎えるのが良いのだろうけど、そうできないのだからこれは受け入れるしかない。だから夜の途中で起きてしまっても、そのまま目を瞑ったままで寝転んでいるんだ。目を閉じて横になって居るだけでも脳と体は眠って居るのとほぼ同じ状態になっているというからね。そう思って続けていると、この睡眠だけで充分だと感じられるんだよ。起きて居て、体を動かしていない時など、時々眠くはなるけどね。」
 目から鱗が落ちるとはこのことだ。自分も今の睡眠時間の現状を受け入れようと思った。今の睡眠時間で充分。と思うことでもしかしたらストレスが少なくなるかも知れない。だいたい、人間の睡眠時間は○時間と研究結果が出て居ない訳でもあるし、当然個人差もある筈だ。今の自分は連続睡眠3時間。あと数時間は目を閉じて横になっているだけで身心の疲れは取れる。と思うことで睡眠不足の思い込みを払拭することにより、精神的な疲れも軽減できるかも知れない。
 ただし、1回目の睡眠導入について、酒の力は今後も借りようと思う。これがないと本当に眠りに入るのが大変なのだ、本当に。ただこれはMさんはやっていない方法なのだけれども。
  

Posted by ばうまにあ at 02:01Comments(0)日常

2017年02月26日

除雪

 町内の"パートナーシップ"による除排雪行事が終了して道路がきれいになった直後のまとまった降雪には、納得できない気持ちがどうしても湧いてくる。頭の中では「まだ2月だから仕方ない」という思いはあるものの、それでもやはり気持ちの整理がつきにくいまま除雪作業に精を出すしかない。昨日は10センチ未満の積雪だったが、今日は夕方までに20センチ以上の降雪量だ。
 この時期の雪は湿り気が多くて重いので、ますますやる気が出ない。それでもやらねばならないのだが。
 
 この機会に今季の除雪についての感想を書いておこうと思う。

 わが住まいは賃貸だが、車の駐車スペースは自分が除雪しなければならない。自分はこのスペースとその付近の除雪を行っているのだが、両隣の駐車スペースの人が全く除雪をしないので、結構自分の負担が大きい。それで車を全然利用していないのならまだやりやすいのだが、毎回車に積もった雪をその辺に落としたまま除雪せず出ていくので、境界線は山のようになっており、自分の"領地"に崩落してきている場合も多い。いちいち文句を言っていても始まらないので、自陣の部分だけを黙々と除雪している。もちろん気持ちは収まってはいないが、トラブルになるのは避けたいという思いの一心である。
 それにしても自分の領地ですらろくに手を入れない人なのだから、きっと他人のために何かをするということは、金の為でなければやらない人なのだろうな。と類推してしまう。そういう人にも子供はいるので、反面教師のつもりなのかも知れない、と考えても見た。

 除雪した雪は駐車場の一部に寄せていくのだが、この寄せ方にも問題が出てくる。普通だったら、雪は最初は奥へ持ってゆくのが当たり前と思うのだが、そうではなく、雪置き場境界線の一番手前にどーんとおいてしまう人が一部には居るのだ。手前に雪を置かれたらそれ以降は非常に持っていきにくい訳で、でもその雪山の奥には雪を置く十分なスペースが残っているので、結局その雪山をまず崩してから雪を置くという作業になってしまう。これがまた忸怩たる思いを持ちながらの作業になってしまうのだ。ある日、30代後半の主婦と思える女性が手前に雪を置いているのを目撃した。雪の置き方を教えて差し上げようかとも思ったが、相手はいい大人であるし、素直な人でなければ逆恨みも考えられるので、ぐっと言葉を飲み込んで、黙々とその手前に置かれた雪の山を奥に押し込んでから自分の雪を置いた。これでわかってくれれば、という思いもあったのだが、その後も同じ対応なので、まったくの無駄な行為であった。今日の雪も対応は同じ。ただ、まったく何もしない人よりはまだマシなのかな、と自分で自分を騙している。

 これは自分の住居ではないのだが、結構立派に見えるアパートやマンションだが、入り口の除排雪がなされておらず、けもの道のようになっているのを見かけることがあるが、これもやはり頂けない。そこに住む人間たちの性質までも悪く憶測してしまう。自分の住んでいるところも除雪担当者が居る訳ではないので、入り口周辺などは自分たちがやらなければならない。日ごと週ごとに担当を決めているところもあるようだが、自分のところはそうしていないので、できるときにできる人が除雪している。もちろん自分が除雪しているが、ほかにも時々やってくれる人が居るのでうちはうまくいっている方だろう。ただし、住民全員が行っているわけではないので、あくまでも一部の有志だけによる行為なのだが、これは仕方のないことなのだろう。何といっても、自分がしなければならない場所でさえ全くしない人が居る訳だから。

 ただ、引っ越しを考えている人はこの時期の道路状況を見ておくことは有意義なことのように思う。機能している町内会であれば、きちんと除排雪が行われているし、機能していない町内会では、今の時期の道路もぐだぐだである。住みよい町内かどうかを見極めるのはこの時期がよい、ということなのである。

 除雪作業は、冬場にはやらなければならないことではあるが、基本的には前向きに行いう作業とはなり得ない。無駄な労力を使わさせられると思う人も多いだろう。どちらかというと、自分もそう思う一人である。自分はただただ人に迷惑を掛けたくないということと、周囲の美観と通りやすさということについて少しは寄与していたいという小さな希望がある。まあ、そんなことでも考えていないとやってられない時もあるのだ。
  

Posted by ばうまにあ at 19:49Comments(0)北の暮らし

2017年02月21日

軟膏

本日某コーヒーチェーン店で憩ふ学生風な若者二人の会話を盗み聞きした。

若者A「相談 あんだけど」
若者B「何なに?」
若者A「あのね。フェミニーナ軟膏って、舐めても大丈夫なんだろうか?」
若者B「彼女使ってんのか?」
若者A「そう」
若者B「シャワー浴びたあとにしたら?」
若者A「でもさぁ、・・・・・・・・」
若者B「・・・・・・・・・・ 
        多分 ダイジョブなんじゃね?」

 そもそも彼はどうしてフェミニーナ軟膏を舐めるといふ特殊な状況を考えるに至ったのであらうか?
  

Posted by ばうまにあ at 17:57Comments(0)北の暮らし

2017年02月19日

瞬間湯沸かし器

 他人の性格を揶揄しようというのではない。
まっすぐ「瞬間湯沸かし器」そのものずばりについての話である。

 普段からお風呂を使う時以外で「瞬間湯沸かし器」を使う機会が少ない自分だが、この時期だけは別。
あまり冷水に手を晒し続けると、水を使っている場合ではなくとも指が痺れたり痛いような違和感を持つようになった。
 夏場でもたまになる痺れや違和感。真冬では夏場より過激に出るのでさすがの自分も「瞬間湯沸かし器」を利用して暖かい水を使うようになった。
 しかし毎回気になるのは、暖かい水が来る前に暫く冷水が流れて来るということ。水道のんパイプが数メートルあるので素の分の冷水が出来ってしないと温水に至らないので、手洗い位ではパイプに残る冷水部分で済んでしまい温水は結局使わないことになる。というより、次に使う人のために準備して差し上げた。というような体である。顔を洗う時はさすがに温水に至るが、それでも半分程度は冷水で済んでしまっている。
 シャワーの時だって問題がある。裸で蛇口をひねるその時に出て来るのは冷水。うっかりそのまま浴びてしまったら「ひぇ~っ」と飛び上がってしまうくらいに身も心も冷え冷えとさせられてしまう。
 電気温水便座だってそうだ。温水ボタンを押しても、暫く出て来るのは冷水である。冷たぁい水がデリケートな部分を直射するのだから、結構ダメージがある。まあ、その後に温水がぴゅっとカバーしてくれるから、まあ多少我慢はできるが。

こんな時に思うのである。
「なんだかなぁ。」と。
気分は故 阿藤快。

パイプが機器から遠くとも、蛇口をひねれば即あったかい。
しかもエコで低廉な価格でできる。
こんなシステムができたら、即買いするし、ノーベル賞ものだと思うのであるが。
  

Posted by ばうまにあ at 01:18Comments(0)北の暮らし

2017年02月18日

寝相

 寝〝相〟といふ位だから、手相や人相のように、性格や未来のことを占うのだろうと調べてみたらあるわあるわ。ただ、私のように寝相が悪く、ひとつの格好でいることの少ない人間はどう占うのか気になるところではある。寝相が変わるごとに占いも変わるといふことなのだろうか?

 一 、二月頃の私は結構寝相が良い。
 つまり寒い時は余り寝返りを打たずに眠れるので、寝相が良い状態になるといふことだ。
 日中でも0℃を超えない真冬日はいい感じに眠っている。それでも、外気温がマイナス5℃以下になっていないと、私の体は暴れ出してしまうようだ。だから、このところ北國で続いている暖気に吾が身体は反応し、毛布類は足元に蹴散らかし、気が付くと重い布団一枚にくるまっていたりする。これはこれで明け方になると布団の隙間から冷たい風が吹き入って来て寒さに震えて起きてしまったりで熟睡できない。寝相のよい日は概して熟睡できているので、気持ちよく眠るためには酷寒の日が続いてくれることが自分にとっては一番良いということになろうが、ただこれは私が寝ている状態の時だけに限り、起きて日常生活を過ごす時は、やはり温暖な気候でないとやってられない訳で、とにかく今頃の時期は春を待ち焦がれる気持ちは当然私にも強くあるわけである。
「今日から春だ。」
 といふことが決定されたら、布団も春仕様となり毛布類も軽いものとなる。それらの加減がうまくいけば春でも寝相がよい状態となる訳だが、そうそううまくはいかない。これが夏ともなると、これはもう悶絶の日々。なにせタオルケット1枚でも暑い訳だから、吾が身體が暴れない訳がない。そして当然熟睡も出来ないといふ毎日になる。

 今、妻と一緒に寝ていないのはひとえに吾が寝相の悪さのせいである。
 未だ新婚間もないある日、私がうっかり寝返りを打ってしまったがゆえに、妻を強烈に蹴りつけてしまい、痛がった妻が怒りと共に離れて行ったといふことである。だから、夫婦が別室で寝起きしているといふ家庭があるとして、その点だけを捉えて「あの夫婦はうまくいっていないのよ!」などと勘ぐるのは的外れの場合もあるのだよと、噂好きのおば様がたにはひと言言っておきたい気持である。
 しかし、自分にとってこれは妻といふクッション材であったからよかったが、壁などに近い場所に寝ていたら、柱やらドアの角やらテレビやら家具やら硬質な物質に脛をしこたまぶつけ、余りの痛さに起きてしまうといふことも少なからずあるので、寝床の立地条件選定には非常に注意が必要なのである。 

 私が小さな頃はいつも霜焼けに悩まされていた食の細い子供だった。それがいつの間にか暑がりなヤツになってしまっていた。それはいつか?と考えてみたら、どうやら大学生になってからのような気がする。高校まではほとんど家で食事を済ましていたが、大学生になってバイトを始め、外食を覚えた。酒を覚えた。このことが体質を変えたのではないか?特に酒、ウオッカやジンなどのスピリッツ系をストレートやロックで始めてから、体質が大きく変わったように思う。今もウイスキーやスピリッツは同じ飲み方で時々飲んでいるので、このことが寝相の悪さに影響しているのかもしれない。
 といふ訳で、今朝がたも毛布や布団が妖怪布団返しか枕返しにいたずらされたかのような状態になっていたが、まあ、これも我が身の健康を表しているのかなとも思える。この状態が続いているといふことは、春もまた近いといふ訳でもあろうし。
  

Posted by ばうまにあ at 02:40Comments(0)北の暮らし

2015年12月04日

Peter Gabriel Ⅰ[Car] 1977




1974 年リリースの「The Lamb Lies Down On Broadway (眩惑のブロードウェイ)」が芳しい評価を得なかったことと、メンバー間との音楽性の確執及び結婚などプライベートな理由も重なり、翌 75年ジェネシスを脱退してしまったピーター・ガブリエル。彼のシーン復活のソロ・デビュー作。

Side one
"Moribund the Burgermeister" - 4:20
"Solsbury Hill" - 4:21
"Modern Love" - 3:38
"Excuse Me" (Gabriel, Martin Hall) - 3:20
"Humdrum" - 3:25

Side two
"Slowburn" - 4:36
"Waiting for the Big One" - 7:15
"Down the Dolce Vita" - 5:05
"Here Comes the Flood" - 5:38





credit
Peter Gabriel – vocals, keyboards, flute, recorder
Allan Schwartzberg – drums
Tony Levin – bass, tuba, leader of the Barbershop Quartet
Jimmy Maelen – percussion, synthibam, bones
Steve Hunter – acoustic guitars on "Solsbury Hill"; lead guitar on "Slowburn" and "Waiting for the Big One"; electric, acoustic & rhythm guitars; pedal steel
Robert Fripp – electric & classical guitars, banjo
Jozef Chirowski – keyboards
Larry Fast – synthesizer, programming
Dick Wagner – backing vocals and guitar solo on "Here Comes the Flood"
London Symphony Orchestra on "Down the Dolce Vita" and "Here Comes the Flood"
Michael Gibbs – arrangement of orchestra

アルバムジャケットに写るピーター・ガブリエルは年寄りのように見える。ジェネシス時代には老人のような恰好でステージに立った彼だが、ここでは生身であ るのにだ。ここではジェネシス時代のスケール感のある楽曲はなく、全体的に非常に内省的な印象を受ける。私はここに身一つからやってゆこうというピーター 自身の決意を感じる。しかしその意志がプロデューサーであるボブ・エツリンに伝わって居なかったのか、作品はちぐはぐな印象も受ける。
特にB面になると、コンパクトに締めたらいい曲なのにという楽曲が変にスケール感を出そうとして沈んでいる。これはプロデューサーの仕業であろう。
 とはいっても、その中でひときわ輝く楽曲もある。
「Solsbury Hill」と「Here Comes the Flood」である。





  

Posted by ばうまにあ at 22:03Comments(0)British Rock

2015年09月27日

マイク・オールドフィールド EXPOSED LIVE (DVD)



Exposed [DVD] [Import]

1978年。腕に覚えのある者は、フュージョンやクロスオーヴァーへと向かいつつあった時期で、いわゆるプログレッシヴ・ロックは衰退の一途を辿っていた。王たるクリムゾの姿は既になく、ピンク・フロイドも「アニマルズ」ではそのスタンスを社会批判や風刺へとシフトし繊細で幻想的なアプローチは影を潜めた。EL&Pは前年「四部作 Works」を出したが1面を除いてソロ作を集めた構成となっており、統一性に欠けるちぐはぐな感じは否めず、常に驚きを満喫してきた視聴者を落胆させた。そして、イエスですら「究極 Going For The One」「トーマト TORMATO」
で大作主義を捨て、コンパクトなロケンロールを演じて見せ、賛否両論を巻き起こし、初期からのファンだった人々の多くはその席を離れた。

そんな激動の時期に、マイクはLP2枚組で全1曲というプログレ超大作を発表した。「呪文 Incantations」である。イギリスの古くからのトラッド音楽とアフりカン・リズムを融合した、哀愁エキゾチックでドラマチックな楽曲が交響曲の4部で構成された壮大な"プログレ"を展開しているおり、名作「チューブラー・ベルズ」とともにマイクの代表作といってよい作品である。そして、このアルバムのツアーが同年行われ、その模様を収録したのが「Exposed エキスポーズド」
ギターが2人。ベースも2人。キーボードも2人。パーカッションは4人。女性コーラス10人。ヴァイオリン6人。ビオラ6人。チェロ3人。フルート2人。トランペット4人。それにリードヴォーカル1人という大編成でのライヴであった。このライヴで大いに貢献したのはゴングのメンバー、特にパーカッションのムーラン兄弟とリード・ヴォーカルのマディ・プライヤーだろう。ムーラン兄弟のドラムスとマリンバ、ビブラフォンのプレイはエキゾチックでエキセントリックでエキサイティングだ。翌年マイクは恩返しにゴングのアルバム「Downwind」にギタリスト兼プロデューサーとして参加している。
 そしてマディ・プライヤーの妖精のような歌声は地球を飛び越えて宇宙までもを感じさせてくれる。
 これほどまでのライヴ・パフォーマンスはそうそう味わえないだろう。そして、このライヴが映像で残されているというのだから、堪らないのだ。もちろんマイクのことだからオーバーなアクションはなく、演出的にも大人しいものだが、これだけの大編成のバンドがパフォーマンスを繰り広げている姿を見られることは、自分にとっては鳥肌ものである。そして、映像ならではの事にも気づかさせられる。それは大人数の中でも孤立するマイクの姿だ。それは時に他メンバーを突き放しているようにも見えるし、他メンバーに敬遠されているようにも見える。これは、後にレコーディングメンバーなどから明かされた事だが、マイクの完璧主義と、それによると思われるわがままとも取られる行動によってメンバーから白い目で見られたこともあるらしい。マイクはどうも人付き合いが苦手のようで、誤解を生む人柄のようなのだ。と、そんな事まで見えてきてしまうのだから映像記録というものはオソロシイ。とまれ、それくらいリアルで素晴らしいライヴ映像なのだ、と言いたいのである。
 内容構成はDVD1枚目に「呪文」全曲。DVD2枚目は「チューブラーベルズ」全曲が、「呪文」リリースとほぼ同時期に発表された「ギルティ」を挟んで演奏されている。そして最後はアンコールで締めくくり。なんか暫くぼ~っと余韻に浸れる作品なのであります。

Exposed [DVD] [Import]
  

Posted by ばうまにあ at 02:51Comments(0)ぷろぐれ

2015年09月20日

太陽乃皇子 by YBO2

YBO2


怪しさいっぱい。クラブで出合っても、決してすぐ前を通りたくない。ましてや会話などしたくない雰囲気たっぷりである。

  パンク/ニュー・ウェイヴ/ノイズというカテゴリーの根幹にプログレが入り込み混在しているバンドはそうはいない。YBO2(イボイボ)はその少ないバンドのひとつ。  この『太陽乃皇子』ではベース:北村昌士、ドラムが吉田達也そしてK.K.NULLのギター(敬称略)。  しょっぱなから北村昌士によるメロトロンが洪水のように流れて、否応なしにプログレを連想させるが、聞き進む内にノイジー・パンクな印象となってゆく
。アルバムB面のすべてを埋めつくすAmerika(extended long playing)は本家バウハウスを凌駕するような勢いがある。

血と雫
血と雫





Greatest Hits Vol.1
Greatest Hits 1








  

Posted by ばうまにあ at 01:05Comments(0)ぷろぐれ

2015年09月20日

phaedra by tangerine dream

 知らぬうちにエドガー・フローゼが亡くなっていた(2015年1月20日)。彼はいわゆる電子音楽のパイオニアであった。ご冥福を祈ります。


 ベッドの中、ヘッドフォン・ステレオでタンジェリン・ドリームを聴いている。高校時代、ヴァージン・レーベルで世界デビューして間もないタンジェリン・ドリームもよくヘッドフォンで聴いていた。スピーカーでよりも一層奥行きと深みを感じることができるからだった。そして、そのことは30年を経た現在も変わりはない。
 そんな中、改めて感じたことがある。この頃のタンジェリンには重低音とリズムビートが存在しない。今の(現在のタンジェリン自身を含めて)テクノやエレクトロニカには見られない傾向である。
 今ははっきりとわかる。その理由は、彼等は、音楽による瞑想を目指していたものだからなのだ。これにビートが加われば、脳はもとより体までもが覚醒してしまうからだ。
 自分は今、(時に無機質な夢を見てしまうことがあるにせよ、それはそれで満喫している)瞑想してるとまでは言えないかも知れないが、心地よい眠りを楽しむことができるようになった。
 タンジェリンは1977年の「Sorcerer 恐怖の報酬」までは全作品文句なくよい。当時評論家がこぞってこきおろした78年の「Cyclone」もいい。A面のヴォーカルをフューチャーした2曲も悪くはないけれど、B面の「Madrigal Meridian」がすごく良い。当時酷評した評論家は今一度聞き直してみるべきだろう。
 タンジェリンのアルバム・ジャケットの多くはリーダーのエドガー・フローゼが制作していて、彼は顔に似合わず(失礼!)子煩悩なのだろう。彼の愛息ジェロームの姿がコラージュされている。それは「atem」「phaedra」そして「Cyclone」で見ることが出来る。CDでは小さくてほとんど確認できないだろう。LP時代から鑑賞してきた人間の役得である。
フェードラ
フェードラ(紙ジャケット仕様)



  

Posted by ばうまにあ at 00:46Comments(0)ぷろぐれ

2015年09月20日

清志郎の真骨頂


RCサクセションの熱烈なファンというわけではなかった。
おそらく初期のフォーク 調の頃のを聞いて、自分の好きなタイプではないと思っていたのかも知れない。
学生時代の夏。サークル仲間に連れて行かれた野外ロックコンサート で、RCが“ロック・バンド”に変貌していたのを初めて知った。
はっきり言ってこれはかなり遅い反応だ。日本のロックをあまり聴いていなかった 時期だったのだが、今思うと少し迂闊だったと思う。
その時はサザン・オールスターズがRCの前座で、忌野清志郎が「なかなかイカシタ奴らじゃ ねぇか。これからも一緒にやっていこうぜ。」みたいなことを言っていた。もうRC全盛時代に突入していたのだ。
『雨上がりの夜空に』みたいな ちょっとセクスィな歌を、隣のフツーの可愛らしい女子高生が大声で叫ぶように歌っているのを見て「あの、ネガティヴな感じで歌っていた奴が、今はスゴイこ とになってるんだなぁ。」と実感した瞬間であった。

さて、時代は少し飛んで、1989年10月、『夜のヒットスタジオ』での『偽善者 (FM東京)事件』のこと。忌野清志郎がもっともトンガッテいた頃の話である。
といっても今は語り草になっており、知っている人も多いかも知れな い。

忌野清志郎(ZERRY名義)はタイマーズのギター&ヴォーカルとして登場。
4曲メドレー『タイマーズのテーマ~ 偽善者(FM東京)~デイドリームビリーバー~イモ』約10分を歌い切った。
その内容、特に2曲目の『偽善者(FM東京)』が凄かった。
歌 詞をここに掲載しよう。


FM東京 腐つたラジオ FM東京
最低のラジオ
なんでもかんでも放送禁止さ
FM 東京 きたねえラジオ FM東京
政治家の手先 
なんでもかんでも放送禁止さ
FM東京 バカのラジオ FM東京
コソコソす んじゃねえ
おま○こ野郎 FM東京
FM東京 腐ったやつだ FM東京
気持ち悪いラジオ
なんでもかんでも放送禁止さ
FM 東京 きたねえラジオ FM東京
政治家の手先
おまん○野郎 FM東京
バカ野郎なにが27局ネットだ
おら~ FM仙台
お ら~お○んこ野郎 FM東京

ざまあみやがれ


はっきり言ってものすごい。今なら『タイマーズのテーマ』の時点で カメラと音声を切り替えでお詫びをしている所だろう。
清志郎が何故ここまでしたかというと、、RCサクセションの反原発曲『サマータイム・ブ ルース』などの放送自粛や、忌野が山口 冨士夫 の“TEARDROPS”に作詞提供&コーラス参加した『谷間のうた』がFM仙台とFM東京で放送禁止になっことなどへの怒りだったのだろう。自 由に表現したい忌野にとって、自主規制をしてうちゃってしまう放送局は“敵”以外の何者でもなかったのだ。


忌野清志郎はここ までして戦ったが、残念ながら検閲・自主規制はこの時代の比ではなくなってしまっている。当人が何も思っていないのに、他人を慮って勝手に規制してしまう 放送局。この事なかれ主義はネットに押されて今は存亡の危機に瀕している。

さて、問題の映像。YoutubeにUPされていて、いつで も見ることが出来る。

ザ・タイマーズザ・タイマーズ
アーティスト:THE TIMERS
販売元:EMIミュージック・ジャパン
発売日:2006-01-25
おすすめ度:5.0
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復活 ザ・タイマーズ復活 ザ・タイマーズ
アーティスト:THE TIMERS
販売元:EMIミュージック・ジャパン
発売日:2006-01-25
おすすめ度:5.0
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不死身のタイマーズ
アーティスト:タイマーズ
販売元:インディペンデントレーベル
発売日:1995-04-30
おすすめ度:4.5
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カバーズカバーズ
アーティスト:RCサクセション
販売元:USMジャパン
発売日:2005-11-23
おすすめ度:5.0
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ザ・タイマーズ/デイ・ドリーム・ビリーヴァー
販売元:株式会社EMIミュージック・ジャパン
発売日:1989-10-11
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Posted by ばうまにあ at 00:27Comments(0)

2015年03月29日

Jeremy Lipking

Jeremy Lipking
ロスアンジェルス在住の画家である。
ということくらいしか知らない。
で、この作品。
「Adrift」
Adrift

"漂って"とか、"漂流して"、"さまよって"とかいう意味らしい。
何かの賞を取って、有名になった作品らしい。
連想するのは、ジョン・エヴァレット・ミレーの代表作
「Ophelia」

元に戻って、
 ジェレミー・リプキング。
可愛い娘さんを描くのが得意なようだ。
SkylarsinsBlue
 が、
これとか、

これ、・・・死体??


これなんか、完全に殺人現場だよね。


いやあ、なんか特殊なエロスでどきどきしますね。
まあ、この二面性、私は好きですよ。ええ。  

Posted by ばうまにあ at 02:30Comments(0)アート

2011年05月03日

ホラー漬け 2

 ゾンビを中心とした洋物ホラーばかりを前回紹介したが、当然、日本のいわゆる“Jホラー”を見なかった訳はない。
 昨年公開時、JRがあまりに怖いのでそのポスター掲示を断ったという映画『恐怖』。監督は『女優霊』 『リング』 などの脚本を手がけたことで知られる高橋洋ポスターの出来のよさにかなり期待してDVDリリースを待ったが、さて。「側頭葉シルビウス裂を電気刺激すると、体外離脱した自分の姿を見るという“幻覚”が起きる。これは、今までの人類の進化から見て説明のつかないこと。」なので、731部隊のような人体実験を行ってその謎に迫る。というのが根っこ。この“狂気の”外科医を片平なぎさが演じる。正直演技は大丈夫かと思ったが、これは杞憂。この映画の中で一番の怪演者はまさしく彼女であったろう。それでは、内容はどうだったかというと、緊張感を持って見ていられたのは最初の30分程度。あとは惰性となってしまった。興味を失ってしまった要素のひとつに過剰な演出がある。閉め切った部屋の中でフィルムを見ているのに、少女たちの髪が強い風に“戦ぐ”のを見て白けてしまった。本来は手術を受けた患者にしか見えないはずの“光”がフィルムに映し出され、それを視た者が影響を受けるという設定も納得がいかない。某映画サイトのコメントに「統一感のない行き当たりばったりの展開」とあるが、全くその通りだと思う。

 そういえば、ホラーでもギャグでもないハンパ映画「ソドムの市 」の監督が高橋洋だったなぁ、と思い出された次第である。よい部分もある。片平なぎさの期待以上の好演、中村ゆり藤井美菜による美人姉妹の存在である。こちらの方はじっくり、まったり堪能させて頂いたo(〃^▽^〃)o。
 見終えて、比較してしまう作品があった。塚本晋也監督の『ヴィタール』である。この映画は『恐怖』とは違い、解剖医の生活に踏み込んだ内容だったため、非常にリアルな捉え方をすることが出来た。ホラーかどうかというと、微妙な部分はある映画だが、楽しめた。柄本奈美KIKIも色を添えていて・・・って、またそれかい!!ヽ(`Д´)ノ
 
 映画でないものも見ている。まずは、稲川淳二 四国巡礼・恐怖の現場の3巻。四国は心霊スポットの宝庫なのかと思わずには居られない。稲川淳二の語り口とプロファイリングはもう芸術といってもよい見事なものだ。その上、アイドルを二人引き連れていくというこのシリーズの企画もいい。稲川淳二の語りとアイドルのリアクション、そして、本物の心霊スポットでのリアルな取材という三重奏。これは否が応にも盛り上がってしまいます。しかも、同行の一人が、「趣味:SeXッッ」で一躍有名となった霊感アイドル疋田紗也。楽しめない訳がありませぬ。憎いぞ、稲川淳二!о(ж>▽<)y ☆
 とと、閑話休題。内容は音や声が聞こえたり、怪しげな光が飛び回ったり、うっすらこの世のものではない者が姿を現したりと、恐怖好きには堪りませぬ。


 最後に紹介したいのが、怪談新耳袋 殴り込み! <西日本編>怪談新耳袋 殴り込み! <東日本編>の2本。シリーズ3作目にあたる。前回までも霊を挑発する恐れを知らぬ男たちのむくつけき挑戦であったが、今回もその思想はそのままに、前回逃げ帰った「山の牧場」へのリベンジと、最凶と謳われる「八甲田山」への挑戦である。東日本編では紅一点、人形の“いせ隊員”が参加。役に立ったとは思えないが、多少の恐怖をさらに植え付けたのは確かだろう。順番としては西日本編を見てから東日本編へ挑む。というのが正しい見方だろうと思う。この夏には、ぜひ!

  


Posted by ばうまにあ at 14:30Comments(0)映画

2011年04月29日

ホラー漬け

 この1ヶ月、普通の映画を見る気がしない。
 ためにし寺山修司の『さらば箱舟』を見ようとしたが、最後まで辿り着けない。
 集中できない。見てられない。
 で、またわが最愛の『ゾンビ』を見直すことにした。
友人に「ホラーというより、ギャグだね。」

と言われたことがあるが、わしはそれも含めてこの映画が好きだ。今年は何度見ることになるのだらう?
 勢いで、20年振りにメガホンを取ったジョルジュ・A・ロメロの『ランド・オブ・ザ・デッド』を観る。

 ゾンビが考え始め、仲間意識に目覚め、普通のように歩き出し、しまいには銃も撃ち始める?!。ってビッグ・ダディ役ユージン・クラーク、もちょっとゾンビ歩きに工夫しろっての。当時すでに癌発病していたであらうデニス・ホッパーの熱演も空しい『残念・オブ・ザ・デッド』となってしまっている。

 ここでロメロさんの原点へ回帰。“ゾンビ”ものの原点『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』へと向かふ。

 何度観ても、この作品は素敵だ。登場人物すべてが素人っぽいのがいい。ゾンビの歩きも自然である。クールだ!!
 ここに出てくるゾンビを見て思う。この“ゾンビ歩き”は誰が演出し、確立させたのか?気になるところだ。ロメロだろうか?役者の一人だろうか?この作品以前に“ゾンビ歩き”をした人は居ないのだらうか?
 そう思うと、往年の名ドラキュラ俳優ベラ・ルゴシや、フランケンシュタインやミイラ役を演じたボリス・カーロフがどのような演技をしていたのか、気になるところだが、残念ながら手元に資料(ビデオ)なし。

 ということで次へと進もう。トム・サヴィーニによるリメイク作『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド/死霊創世記』は、オリジナルを忠実に再現したといえる。ゾンビをオリジナル同様、のろまな奴らとして描かれており、リアリティがある。トム・サヴィーニは特殊メイクアップ・アーティストとして有名だが、『ゾンビ』にも暴走族のリーダー格として出演しており、「ああ、あの憎たらすぃ男か!」とピンとくる人も居らっさることでせう。それはともかく、これは貴重な夜の2時間を消費するに値しますぞ。 さて、『ゾンビ』にもリメイクがある。続いては『ドーン・オブ・ザ・デッド』である。

 この作品はゾンビがとにもかくにもパワフル!全員がボルト並みの速さで迫ってくる。これでは人間が生き残る術はない。もうちょっと隙が欲しいと思うのは自分だけではあるまい。しかし、それはともかく、ほかの部分では見所が沢山ある。ユーモラスな場面もえっちなシーンもしっかりあって、評価を上げている。
 しかし、もちろん不満もある。音楽である。音楽が残念ながら陳腐なのである。ここで、今更ながら、ゴブリン・サウンドの喪失感を味わう。
 ゴブリンといえば、やはりダリオ・アルジェント作『サスペリア』『サスペリア2 (紅い深淵)』であらう。ゴブリンの音楽なしにこの映画は考えられなひ。ダリオ・アルジェントはゴブリンと出会わなければ、テンポの悪いフツーのホラー監督さんで終わっていたに違いなひ。
 その証拠に、ゴブリンと出会う1974年以前の作品に光るものは少なく、ゴブリンを失った1980年以降の作品も切れ味が悪い。実はゴブリンは『ゾンビ』録音後に分裂してしまっていた。そのため次作『インフェルノ』はキース・エマーソンを迎えるもイマイチ不発。
『シャドー』はゴブリンのメンバーだったクラウディオ・シモネッティ/ファビオ・ピナテッリのクレジットとなっているが、盛り上がることなく、
『フェノミナ』ではまたゴブリン名義に戻るも、もう往年のインスピレーションを感じさせるサウンドではなくなっていたのだ。嗚呼、映画も音楽も、全て才能は消費され、枯渇するのである。







  


Posted by ばうまにあ at 18:49Comments(0)映画

2011年04月23日

水の話

 「水の話」という映画がある。
 トリュフォーとゴダール、唯一の共作。1958年の小品だ。
パリでの大洪水を即興で映画にしようとカメラを抱え撮影にでたトリュフォーだったが、映画としてまとめることができず、お蔵入りしそうになったフイルムをゴダールが編集し、二人の共同監督作としたのが本作。
 主演はヌーベルヴァーグに欠かせない俳優の一人ジャン=クロード・ブリアリとカロリーヌ・ディム。
カロリーヌ・ディムは本作にしか出演していない。撮影後結婚して映画界を去ったのだろうか。

 幸い作品はYutubeでも見ることができる。珠玉の小品。ぜひみておきませう。


  さて、普段ただでおいしい水を飲める幸せを享受してきたわれわれ日本人だが、こういう状況になり、水の安全性と安定需給ということをさらに考えねばならない状況となってしまった。
こうなれば安全でおいしく、割安でいつでも安心して買うことが出来る水の存在感が増してくる。

  


Posted by ばうまにあ at 19:13Comments(0)