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Posted by さぽろぐ運営事務局 at

2017年02月26日

除雪

 町内の"パートナーシップ"による除排雪行事が終了して道路がきれいになった直後のまとまった降雪には、納得できない気持ちがどうしても湧いてくる。頭の中では「まだ2月だから仕方ない」という思いはあるものの、それでもやはり気持ちの整理がつきにくいまま除雪作業に精を出すしかない。昨日は10センチ未満の積雪だったが、今日は夕方までに20センチ以上の降雪量だ。
 この時期の雪は湿り気が多くて重いので、ますますやる気が出ない。それでもやらねばならないのだが。
 
 この機会に今季の除雪についての感想を書いておこうと思う。

 わが住まいは賃貸だが、車の駐車スペースは自分が除雪しなければならない。自分はこのスペースとその付近の除雪を行っているのだが、両隣の駐車スペースの人が全く除雪をしないので、結構自分の負担が大きい。それで車を全然利用していないのならまだやりやすいのだが、毎回車に積もった雪をその辺に落としたまま除雪せず出ていくので、境界線は山のようになっており、自分の"領地"に崩落してきている場合も多い。いちいち文句を言っていても始まらないので、自陣の部分だけを黙々と除雪している。もちろん気持ちは収まってはいないが、トラブルになるのは避けたいという思いの一心である。
 それにしても自分の領地ですらろくに手を入れない人なのだから、きっと他人のために何かをするということは、金の為でなければやらない人なのだろうな。と類推してしまう。そういう人にも子供はいるので、反面教師のつもりなのかも知れない、と考えても見た。

 除雪した雪は駐車場の一部に寄せていくのだが、この寄せ方にも問題が出てくる。普通だったら、雪は最初は奥へ持ってゆくのが当たり前と思うのだが、そうではなく、雪置き場境界線の一番手前にどーんとおいてしまう人が一部には居るのだ。手前に雪を置かれたらそれ以降は非常に持っていきにくい訳で、でもその雪山の奥には雪を置く十分なスペースが残っているので、結局その雪山をまず崩してから雪を置くという作業になってしまう。これがまた忸怩たる思いを持ちながらの作業になってしまうのだ。ある日、30代後半の主婦と思える女性が手前に雪を置いているのを目撃した。雪の置き方を教えて差し上げようかとも思ったが、相手はいい大人であるし、素直な人でなければ逆恨みも考えられるので、ぐっと言葉を飲み込んで、黙々とその手前に置かれた雪の山を奥に押し込んでから自分の雪を置いた。これでわかってくれれば、という思いもあったのだが、その後も同じ対応なので、まったくの無駄な行為であった。今日の雪も対応は同じ。ただ、まったく何もしない人よりはまだマシなのかな、と自分で自分を騙している。

 これは自分の住居ではないのだが、結構立派に見えるアパートやマンションだが、入り口の除排雪がなされておらず、けもの道のようになっているのを見かけることがあるが、これもやはり頂けない。そこに住む人間たちの性質までも悪く憶測してしまう。自分の住んでいるところも除雪担当者が居る訳ではないので、入り口周辺などは自分たちがやらなければならない。日ごと週ごとに担当を決めているところもあるようだが、自分のところはそうしていないので、できるときにできる人が除雪している。もちろん自分が除雪しているが、ほかにも時々やってくれる人が居るのでうちはうまくいっている方だろう。ただし、住民全員が行っているわけではないので、あくまでも一部の有志だけによる行為なのだが、これは仕方のないことなのだろう。何といっても、自分がしなければならない場所でさえ全くしない人が居る訳だから。

 ただ、引っ越しを考えている人はこの時期の道路状況を見ておくことは有意義なことのように思う。機能している町内会であれば、きちんと除排雪が行われているし、機能していない町内会では、今の時期の道路もぐだぐだである。住みよい町内かどうかを見極めるのはこの時期がよい、ということなのである。

 除雪作業は、冬場にはやらなければならないことではあるが、基本的には前向きに行いう作業とはなり得ない。無駄な労力を使わさせられると思う人も多いだろう。どちらかというと、自分もそう思う一人である。自分はただただ人に迷惑を掛けたくないということと、周囲の美観と通りやすさということについて少しは寄与していたいという小さな希望がある。まあ、そんなことでも考えていないとやってられない時もあるのだ。
  

Posted by ばうまにあ at 19:49Comments(0)北の暮らし

2017年02月21日

軟膏

本日某コーヒーチェーン店で憩ふ学生風な若者二人の会話を盗み聞きした。

若者A「相談 あんだけど」
若者B「何なに?」
若者A「あのね。フェミニーナ軟膏って、舐めても大丈夫なんだろうか?」
若者B「彼女使ってんのか?」
若者A「そう」
若者B「シャワー浴びたあとにしたら?」
若者A「でもさぁ、・・・・・・・・」
若者B「・・・・・・・・・・ 
        多分 ダイジョブなんじゃね?」

 そもそも彼はどうしてフェミニーナ軟膏を舐めるといふ特殊な状況を考えるに至ったのであらうか?
  

Posted by ばうまにあ at 17:57Comments(0)北の暮らし

2017年02月19日

瞬間湯沸かし器

 他人の性格を揶揄しようというのではない。
まっすぐ「瞬間湯沸かし器」そのものずばりについての話である。

 普段からお風呂を使う時以外で「瞬間湯沸かし器」を使う機会が少ない自分だが、この時期だけは別。
あまり冷水に手を晒し続けると、水を使っている場合ではなくとも指が痺れたり痛いような違和感を持つようになった。
 夏場でもたまになる痺れや違和感。真冬では夏場より過激に出るのでさすがの自分も「瞬間湯沸かし器」を利用して暖かい水を使うようになった。
 しかし毎回気になるのは、暖かい水が来る前に暫く冷水が流れて来るということ。水道のんパイプが数メートルあるので素の分の冷水が出来ってしないと温水に至らないので、手洗い位ではパイプに残る冷水部分で済んでしまい温水は結局使わないことになる。というより、次に使う人のために準備して差し上げた。というような体である。顔を洗う時はさすがに温水に至るが、それでも半分程度は冷水で済んでしまっている。
 シャワーの時だって問題がある。裸で蛇口をひねるその時に出て来るのは冷水。うっかりそのまま浴びてしまったら「ひぇ~っ」と飛び上がってしまうくらいに身も心も冷え冷えとさせられてしまう。
 電気温水便座だってそうだ。温水ボタンを押しても、暫く出て来るのは冷水である。冷たぁい水がデリケートな部分を直射するのだから、結構ダメージがある。まあ、その後に温水がぴゅっとカバーしてくれるから、まあ多少我慢はできるが。

こんな時に思うのである。
「なんだかなぁ。」と。
気分は故 阿藤快。

パイプが機器から遠くとも、蛇口をひねれば即あったかい。
しかもエコで低廉な価格でできる。
こんなシステムができたら、即買いするし、ノーベル賞ものだと思うのであるが。
  

Posted by ばうまにあ at 01:18Comments(0)北の暮らし

2017年02月18日

寝相

 寝〝相〟といふ位だから、手相や人相のように、性格や未来のことを占うのだろうと調べてみたらあるわあるわ。ただ、私のように寝相が悪く、ひとつの格好でいることの少ない人間はどう占うのか気になるところではある。寝相が変わるごとに占いも変わるといふことなのだろうか?

 一 、二月頃の私は結構寝相が良い。
 つまり寒い時は余り寝返りを打たずに眠れるので、寝相が良い状態になるといふことだ。
 日中でも0℃を超えない真冬日はいい感じに眠っている。それでも、外気温がマイナス5℃以下になっていないと、私の体は暴れ出してしまうようだ。だから、このところ北國で続いている暖気に吾が身体は反応し、毛布類は足元に蹴散らかし、気が付くと重い布団一枚にくるまっていたりする。これはこれで明け方になると布団の隙間から冷たい風が吹き入って来て寒さに震えて起きてしまったりで熟睡できない。寝相のよい日は概して熟睡できているので、気持ちよく眠るためには酷寒の日が続いてくれることが自分にとっては一番良いということになろうが、ただこれは私が寝ている状態の時だけに限り、起きて日常生活を過ごす時は、やはり温暖な気候でないとやってられない訳で、とにかく今頃の時期は春を待ち焦がれる気持ちは当然私にも強くあるわけである。
「今日から春だ。」
 といふことが決定されたら、布団も春仕様となり毛布類も軽いものとなる。それらの加減がうまくいけば春でも寝相がよい状態となる訳だが、そうそううまくはいかない。これが夏ともなると、これはもう悶絶の日々。なにせタオルケット1枚でも暑い訳だから、吾が身體が暴れない訳がない。そして当然熟睡も出来ないといふ毎日になる。

 今、妻と一緒に寝ていないのはひとえに吾が寝相の悪さのせいである。
 未だ新婚間もないある日、私がうっかり寝返りを打ってしまったがゆえに、妻を強烈に蹴りつけてしまい、痛がった妻が怒りと共に離れて行ったといふことである。だから、夫婦が別室で寝起きしているといふ家庭があるとして、その点だけを捉えて「あの夫婦はうまくいっていないのよ!」などと勘ぐるのは的外れの場合もあるのだよと、噂好きのおば様がたにはひと言言っておきたい気持である。
 しかし、自分にとってこれは妻といふクッション材であったからよかったが、壁などに近い場所に寝ていたら、柱やらドアの角やらテレビやら家具やら硬質な物質に脛をしこたまぶつけ、余りの痛さに起きてしまうといふことも少なからずあるので、寝床の立地条件選定には非常に注意が必要なのである。 

 私が小さな頃はいつも霜焼けに悩まされていた食の細い子供だった。それがいつの間にか暑がりなヤツになってしまっていた。それはいつか?と考えてみたら、どうやら大学生になってからのような気がする。高校まではほとんど家で食事を済ましていたが、大学生になってバイトを始め、外食を覚えた。酒を覚えた。このことが体質を変えたのではないか?特に酒、ウオッカやジンなどのスピリッツ系をストレートやロックで始めてから、体質が大きく変わったように思う。今もウイスキーやスピリッツは同じ飲み方で時々飲んでいるので、このことが寝相の悪さに影響しているのかもしれない。
 といふ訳で、今朝がたも毛布や布団が妖怪布団返しか枕返しにいたずらされたかのような状態になっていたが、まあ、これも我が身の健康を表しているのかなとも思える。この状態が続いているといふことは、春もまた近いといふ訳でもあろうし。
  

Posted by ばうまにあ at 02:40Comments(0)北の暮らし